「新たまねぎ はるたま」は、主に1月から3月にかけて
静岡県(浜松市、湖西市、御前崎市)から出荷される新たまねぎ(黄たまねぎ)です。
辛みが少なく、みずみずしいのが特徴です。
年明け早々に出荷が始まります。
「新たまねぎ はるたま」は、主に1月から3月にかけて静岡県(浜松市、湖西市、御前崎市)から出荷される新たまねぎ(黄たまねぎ)です。
辛みが少なく、みずみずしいのが特徴です。
年明け早々に出荷が始まります。
1~3月の間に流通する新たまねぎの数量の中では、「はるたま」は全国各地にある新たまねぎ産地の中でも日本一の数量を誇ります。
一般的には、新たまねぎの旬は3~5月といわれていますが、それに先駆けて年明けから産地としてまとまった出荷があり、その中でも最も多い数量を出荷していることが、日本一“早い”新たまねぎの産地と呼ばれる理由です。
「はるたま」も、元々は他の新たまねぎと同じくらいの出荷時期でしたが、産地の環境に適したたまねぎ種子の選抜と、玉葱に適した栽培環境を活かして、年明けからの出荷を実現しています。
春に向かうにつれて出荷最盛期となることから、地元では以前から 『春を呼ぶたまねぎ』と呼ばれていました。
静岡県の新たまねぎを広く全国の皆様に知っていただくために、地元の小学生に「静岡県の新たまねぎ」の名前を募集しました。
たくさん応募いただいた中から、親しみやすくて覚えやすく、『春を呼ぶ』という商品イメージにぴったりの「はるたま」という名前が選ばれました。令和2年の1月から、「静岡県の新たまねぎ」は「はるたま」という名前で 出荷されています。

春に向かうにつれて出荷最盛期となることから、地元では以前から
『春を呼ぶたまねぎ』と呼ばれていました。
静岡県の新たまねぎを広く全国の皆様に知っていただくために、地元の小学生に
「静岡県の新たまねぎ」の名前を募集しました。
たくさん応募いただいた中から、
親しみやすくて覚えやすく、『春を呼ぶ』という商品イメージにぴったりの
「はるたま」という名前が選ばれました。令和2年の1月から、
「静岡県の新たまねぎ」は「はるたま」という名前で
出荷されています。

明治44年
愛知県知多郡八幡町の生産者が浜名郡篠原村(現浜松市篠原町)に移り住むようになり、愛知で広がりつつあった白たまねぎの種苗を持ち込んで栽培したのが始まり。
大正10年
篠原村農会の手により特産化が図られ、和歌山から種子を購入して約25ha栽培し、東京、横浜、大阪、浜松に出荷された。
昭和17年
篠原村での栽培は約130haとなり、村全体に広まっていた。
昭和22年
戦時中と戦後しばらくの間は麦などに栽培転換したため、約60haまで減少。
昭和27年
当時の篠原村農協組合長の呼びかけにより篠原村タマネギ出荷組合連合会が設立された。
昭和28年
『西遠南部タマネギ形質改善協議会』が発足し、早出しに目標が置かれ関係機関と一体になって事業が進められた。
昭和30年代前半~
篤農家がさらに端境期をねらうため品種を交配し選抜を重ねた。
昭和40年
旧浜松西農協への合併、さらには西遠地域、御前崎町、浜岡町などを範囲とする広域での共販体制がとられるようになった。『静岡県タマネギ生産流通協議会』が設置され、各農協の代表者で生産・出荷・販売について話し合われてきた。
昭和40年代前半
自家採種系の栽培が大半となり、かつ共販出荷が増え、名実ともに全国一の早出し産地となったが、まだ偏平が多かった。このため甲高の選抜が行われるようになった。
昭和50年代初期
4月上旬に収穫できるまでになった。
早掘甘藷の普及により玉葱の早期植付けが可能となった。
昭和50年代後半から60年代
甲高の品種が登場してきた。
平成以降
極早生種の栽培が増加。また葉が倒伏する前の収穫が多くなった。
平成10年
『静岡県タマネギ生産流通協議会』が名称変更し『静岡県新玉葱共販運営委員会』となった。
※出典:「静岡県野菜・花き園芸発達史(静岡県野菜・花き園芸発達史編纂委員会)」より抜粋
令和2年1月から
「新たまねぎ はるたま」という名前で出荷開始。
令和2年11月
「新たまねぎ はるたま」を商標登録。
令和2年12月
「新たまねぎ はるたま」が『しずおか食セレクション』に認定される。
令和2年現在
生産者約700名、面積165ha、年間出荷量約7600トン